【お客様】珍盤亭娯楽師匠(以下:) ※写真中/ 小柴(以下:小柴) ※写真右
【司会】森田貴宏(以下:森田) ※写真左
【バーテンダー】ミホ

ミホ:本日のお客様はお二人。まずは中野ブロードウェイ3Fにある雑貨店”BLOX”を30年以上支えた元店長であり、現在はheavysick ZEROのすぐそばにある、ご飯、お酒、音楽が楽しめるキッチンバー”AC”の店主である「小柴」さん。
そして小柴さんも大推薦の珍盤と言われる和モノ/日本のレコード音源でDJする「珍盤亭娯楽師匠」です。

司会はお馴染み中野から世界に向けてスケートボードと世界平和を発信し続ける「森田貴宏」氏をお迎えして今宵もお届け致します!!



森田:世界の珍盤亭娯楽師匠さん、そして紹介してくれた小柴さん、今日は宜しくお願い致します!!


/小柴:宜しくお願い致しま~す!!


森田:実は僕、師匠達が行っているいわゆる「和モノムーヴメント」に関しては前々から噂だけをある筋から聞いてましてね。小柴さんのfacebookでも昔の「和モノ」レコードのジャケットをあげてたり。そんな中、「和モノ」レコードのDJでも特に「ヤバいのがいる」みたいな事を聞いてたんですよ。で、この間たまたま師匠のイベントに行けて、めでたくCDを買わせてもらって聞かせて頂きました。


:頭が爆発しちゃったんじゃない?(大丈夫だった?)


※一同(笑)


森田:いや、とにかくもっと70年代の「ルパン三世」とか、「太陽にほえろ」とかのいわゆる「レアグルーブ」や「ジャズファンク」的な要素の物がメインなのかと思ってたら、、、大どんでん返しでした(笑) 実際聞いてみて「珍盤亭娯楽」という師匠のネーミングがまさにぴったりだと思いました。元々一番はじめにDJをやるきっかけって何なんですか。


:最初はダンスをやってたんで、ダンスミュージックやヒップホップミュージックを聞いて、レコードを買って、ダンスの為にレコードをDJに渡していてショー用の音楽を作ってもらって、ヒップホップを聞きながらずっとダンスをやってたんだけど。


森田:じゃあダンス甲子園とか?


:そうそう。その辺とか90年代頭とか。


小柴:関西ではブイブイ言わせてて、関西では結構(有名)なチームでね!


森田:師匠は関西だったんですか!?そのダンスチームの名前は??


:覚えてないんだよな~


※一同(笑)


:でも「ギャングジャップ」とかそういう名前だったような???


※一同(爆笑)


森田:じゃあ、ヒップホップのダンスをやってて、そこからもっと音楽に傾倒して行く感じ?


:そう。東京にダンスで出て来て有名になりたいって思って来たんだけど、チームメンバーの一人が腰を痛めて辞めちゃったの。でもそこから俺1人でダンスをやっていってたんだけど、、、でも1人で踊ってるとやたらテンションを保つのが難しくて、、、


森田:孤独すぎるって事ですか?


:そう!それ耐えられなかったのかもしれない。


森田:それはいくつくらいの時ですか?


:それが30歳前くらい。その頃もレコードは買ってたんだけど、ダンスの方が夢中だった。クラブ行っても1人で踊ってて。でも次第に1人でやっててもつまらなくなって、で結局DJでもやってみようかなって思って、、、ターンテーブルも持ってない頃に、たまたま友達のクラブでレコードだけはあったんで回してて、でもうまく回せないしとりあえずかけてるだけ。

でもやってって楽しいなっていうのはあったんで、ターンテーブルを1つずつ買って、次の月はDJミキサーを買って、金貯めてやっと揃って、なんとなく出来るようになった時に、たまたま友達のイベントでDJやってくれと頼まれて、ある程度繋げられるようになったらお客さんも乗ってくれて。それ位から「ダンスも良いけどDJも面白いな~」と思う様になって。

最初はヒップホップのサンプリングソースに興味が出てSOUL、FUNK、JAZZ、BLACK MUSICのDJとしてやり出した。DJ名も「 waterdamage(ウォーターダメージ)」っていう名前でやってたんだけど、「和モノ」をやりはじめてから出演している「和モノデリック」という恵比寿「Enjoy house」で開催してたイベントで、「“和モノ”と”waterdamage(ウォーターダメージ)”ってなんか合わないなぁ~。なんか違う名前考えてよ。」て共演者から言われて。

その頃、いわゆる「珍盤」という変なレコードを集めていたのと、ちょうど夜中に落語のテレビを見てて、落語って話に波をつけて、最後にはオチをつけて話を展開していく所がDJと似ているなぁ~って思ってさ。DJもその時々で盛り上げて、最後はいかに締めるか?みたいな所が一緒だって思って、今の名前に決めたの。「珍盤亭娯楽」に。それだったらその名前にマッチするように着物や浴衣を着てっていう演出もするようになった。演歌歌手が衣装チェンジするように、お客さんも目でも楽しめるし、歌でも楽しめるようにっていう感じでエンターテイメント色を自分なりに考えてやってる感じ。


森田:ほぉ~。すげえ~!!この人に歴史ありっすね。(笑)そこからちょっと話はずれますが、師匠、昔スタントマンやってたんですか?(笑)


:そうそう(笑)さっきの話からだいぶ遡るんだけどさ。俺が中学生くらいのとき、ブレイクダンスブームがあって、俺も便乗してダンスをやりはじめたんだ。だけど、全然上手くならなくて速攻で辞めちゃったんだよね。

でもその後、ジャッキーチェーンとかキョンシーとかっていうカンフーブームが来たんで、今度はカンフーを見よう見真似でやっていて、スタントマンになりたいと思って「ジャック」のオーディションに行ったんだよ。

で後日、合格の通知が来て「ヤッタ!JAC(ジャック)に合格した!」ってなったんだけど、その封筒の中に明細書が入ってたんだよ。「入学金●●●円、衣装代●●●円、授業料●●●円、、、、総額:●百万円」。。。

森田:総額!


:総額!「そんなにいるんだ!!」って。もちろんそんなお金もあるはずが無く、JAC(ジャック)の夢は断たれた!(笑)


森田:やっぱり世の中「金」か!と(笑)


:そう!世の中「金」かと(笑)。で当時、「ザ・オーディション」ってオーディション雑誌があったんで、今度は映画スターの倉田保明の倉田プロモーション事務所にオーディション受けに行ったんだけど。

で後日、封等が来て「合格しました」と。合格通知が来まして、で明細が入ってまして、、、「入学金●●●円、衣装代●●●円、授業料●●●円、、、、総額:●十万円」あれっ?JAC(ジャック)より全然安い!ってなって、、、それで結局入ったんだよ。


※一同:おぉ~。(笑)


:それで入って、5年くらいは行ってたと思うんだけど。ある程度の授業を受けるとテレビや映画の仕事にたどり着くという感じで、高校行ってたんだけど「俺はこの道で行くんだ!」と腹をくくって、高校も辞めて大阪に出て行って、最初の何年かは仕事もなくてアクションの練習。

ある程度うまくなってきたら撮影とかに出るか?ってなって「やった!」と。東映とか松竹とか時代劇で京都まで撮影に行って、アクションかと思いきやフタを空けたら通行人とか死体役とかで。でその後くらいに忍者の役がたまたま俺に回ってきてやったら、監督に気にいられて、仕事がちょこちょこ来るようにはなったけど、当時で5千円いかないくらいのギャラで。命綱無しでお城の屋根を走ったりとか、暗い中で橋桁(はしげた)を移動するとか、危ないし怖い、ホント死ぬ!みたいな仕事をしてた。
それも超端役で、やっぱりあんま顔が出なくて、、「俺はこんなんじゃないんだ!」ってなって。(笑)本当は俺、香港映画とかアクション映画に出てスターになりたいんだよ!って思ったたんだけどさ。

結局そこからちょっとやさぐれちゃって、、、授業もあんまり行かなくなって。その時期に倉田プロモーションの中で結婚する人がいて結婚式の余興をやる事になって、たまたま俺はダンスをやろうとなってヒップホップダンスをやる為にクラブ行ってステップ考えたりしてたら昔の記憶が蘇っちゃって、ダンスがめちゃくちゃ面白い!!ってなってさっきの話に繋がっていく感じ。




森田:ここで話を変えて、僕に師匠の存在を教えてくれた小柴さんの話をしたいと思います。

僕は元々は中野ではなく、隣町の高円寺出身なんです。だけど地元高円寺にはスケートする場所が見当たらなくて、色々と点々としてたところに「中野サンプラザ」だったんです。当時は明らかに高円寺と中野って全く違うイメージの街で。中野は特にブロードウェイがヤバくて、中でも3Fの一番奥にある店「BLOX」はその中でも俺達スケーターにとっては最重要だったんです。どこから仕入れてるんだよ?って聞きたくなるようなモノが売ってたり、何でここにあるの?っていうようなアメリカの最新の服やら雑貨やらがわんさか売ってた。イケテル物ばっかり売ってる店。そこに堂々と真ん中で睨みを利かせていたのが小柴さん(笑)。


小柴:ガキが来たら必ず睨みつけてたから。万引き防止として(笑)


森田:今でこそ小柴さんと僕は仲良くさせてもらってるけど、若い頃、うちらの地元連中の間では「あのBLOXのおやじムカつくよ。なんでいつも睨んでんだよ」っていう風に見てたんですよ(笑)。当時の僕らにとってアメリカのストリートカルチャーは興味の全てだったし、そこに1番惹かれてたんですよ。当時小柴さんが居た「BLOX」にはそのアメリカのストリートカルチャーが凝縮されてた。

中野で昔からスケートしてたりバンドやってたりっていう面々で小柴さんの影響を受けていないヤツは居ないくらい。今になって小柴さんのことを知れば知る程、当時のアメリカンカルチャーをマジで仕事にしてた人じゃないですか?アメリカンポップスとかロックとかにマジで精通してる。

で、そんな人がある時「俺の師匠」って言って、どう考えても年下の「珍盤亭娯楽師匠」を僕に紹介してくれたんです。そこからさらにあのCDを聞いて「へぇ~」ってなって(笑)。だって師匠のミックスCDは「祭りばやし」から始まって、、、祭りの中でもさらに喜びの部分に焦点あててたりとかっていう。他にもよくぞこんなドープでコメディーな楽曲をメジャーからリリース出来たな!!っていうような曲達が入ってる。当時の日本人達が何とかして世の中を明るくしたいって思いが伝わって来るんですよ。全部、生声、生音、コーラスだけでもよくぞここまでのコーラスを集めたなぁとか。とにかく戦後の日本人の情熱を結集した楽曲のダイジェストのような。だけども師匠、あれはソウルミュージックですよね?


:そうそう。自分なりの解釈でいうとまさに日本のソウルミュージックだと思ってる。アメリカ人にとってブルースやゴスペルがある様に、日本の演歌とか民謡とかも、それと一緒じゃないかと。

俺も最初はアメリカの音楽が好きでやってきたんだけど、いつからかそこに何か満たされないものを感じ始めた。それこそ昔、親が美空ひばりとか北島三郎とかを聞いてて。で、若い時の俺は「なんだこのダサイ音楽は。リズム感も演歌だしよくわかんねぇなぁ」とかって思ってた(笑)。だけども何十年か経った今、実際にそれらを聞いてみると、歌詞とかめちゃくちゃ良いんだよね。案外そこが最終的には心地よいみたいな(笑)。実際そこが原点なんだなぁと思って日本の音楽をもう一度聞いてみると、新たな発見が有りすぎる。そこでやっぱりDJとしてはそこを極めてみたいなと。

今は純日本の音楽も全然聞けるし、カッコ良いと思えるし、歌詞がとりあえず良い。そういう音楽の良さを今の自分自身が分かる耳を持ってて、分かる心を持ってるんだったらそれを他の人達に伝えないとダメだなって思った。根本、日本の心は絶対に誰でもある訳で、それをただ単に自分らの小さな枠で食わず嫌いして、寄せ付けていないだけ。それを解き放てばハマるっていう。それが俺がハマった理由でもあるし。


小柴:和モノの傘の中にジャンルがいっぱいあるんですよ。アメリカのパンクだったりブルースだったりの演奏に日本語を載せているようなジャンルもあれば、演歌だったり民謡だったり音頭だったりアニメだったりっていう日本独自のモノ達。で俗に世間で「カッコ良い」って言ってるのは、アメリカや外国の曲っぽい「和モノ」だと思うんですよ。

僕なんか珍盤亭師匠と出会って1年ちょっと経つんですけど、師匠のどこがカッコ良いのかというのは人それぞれですが、プレイの中で音頭とか民謡を普通に掛けちゃう師匠は僕から見たらすごくカッコ良いんですよ。

僕がパンクなんかを見た時は1976年で僕が中学3年。片やアメリカではイーグルスとかウエストコーストサウンドでロンゲでネルシャツ、パンタロンを履いてカッコ良いっていってた時に、イギリスからレッドツェッペリンとかが「ガー」って音を立てて上がって来て、その中からツンツン頭にガーゼシャツを着て出てきたあの衝撃。ロックがガラッと変わった瞬間。汚いモノがカッコ良くなったのと同じに、ロック→ブラックミュージック=「洋楽カッコ良い」って思ってた所に「ドーン!!」て僕の前に「和モノ」が現れた。
もう!こんな事があるのかと。


森田:ひっくり返っちゃったんですね?!それはもう衝撃でしたか?


小柴:衝撃でした。僕の音楽史の中ではパンクの出現と同じくらい衝撃ですよ。


森田:おぉ~。だからfacebookでも毎日「和モノ」のレコードジャケットの写真あげてるんですね?


小柴:たまにコレ恥ずかしいなぁとか思うけど、若い子達は知らないから紹介してあげようと思って。(笑)


:次世代など新しい人には新しいかもしんないね。


森田:それこそこの前、僕が師匠のイベントに行った時、フロアに外人さんが居たでしょ?


/小柴:居た!居た!


森田:終始ずっと踊ってたでしょ。「和モノ」で(笑)絶対意味とかわかってないと思うけど、終始楽しんでた様子でしたよね。音やリズムも外国には無い感じだったとは思うけど、あんなに外国の人が楽しんでるって事は、僕達が意味も分からないのにブラックミュージック聞いて踊ってた状況と一緒ですよね? いや~凄い時代になる予感がしますよ!(笑)まさに日本発信!!(笑)




森田:あ!それはそうと師匠はレコードをディグする旅を定期的に行っているっていう話を聞いた事があるんですけど。


:そうそう。それは毎年行ってる。


森田:毎年?あても無く旅をするんですか?


:実家が兵庫県だから、毎年実家に帰るついでに掘ってみようかなと。最初は大阪、神戸、京都くらいだったんだけど、今はもっとエスカレートしてて。レコード屋には意外に地方のカラーっていうモノがちゃんとあって、地方にしか置いてないモノがあるの。例えばその街を盛り上げる為に地方企業が作ったレコードとか、ノベルティー(非売品)モノとか。いわゆるご当地モノってヤツ。


森田:そんなモノにまで手を出してるんですか?(笑)


:もちろん。まだ知らないモノを聞いてみたいという欲が強いから。


小柴:「黄桜かっぱ」の曲のレコードを買いにわざわざ京都まで行って、、、


:あれはね、意外に東京じゃあプレミアついてて高くて。で俺はある情報筋から京都のとある場所に置いてあるって聞いてて。もう年月経っちゃったから置いてないだろうと思ってたんだけど。でもどうせなら現地まで行って確かめてみようと思って実際に行ったら、おみやげコーナーに当時の値段のままでデットストックとして売ってた。(笑)


森田:それ結構やめられないっすね。楽しいっすよね。(笑)


:そう。超楽しい。レコード掘るだけじゃなくて町の雰囲気だったり、レコード屋に置いてるレコードの順番だったり棚の感覚だったりが、地方によって全然違うし、店主によっても全然違う。実際に行ってそれを見るだけでも楽しいし、店主との会話も楽しい。

今はネットで何でも買える時代だけど、実際に現地まで行って探検みたいに、レコード屋さんを探して、お店があった時のワクワク感なんか最高。その店の店主が昔バンドをやってて、プロを目指してやってたんだけども成功しなくて、地元に帰ってレコード屋を始めたなんていうストーリーなんかも俺にとっては、たまらない。そこでは当時、店主自身が聞いてたレコードを売ってたりっていう店主の思いが乗っかったレコードを俺は客として頂戴している。そういった経験からレコード探しの旅に日本全国行ってみようかと思って毎年行ってるの。

そういう様子を自分のブログでもあげてるんだけど、それを色んな人が見てくれて、「俺も今度そこのレコード屋行ってみよう!」とか、実際にレコードを買いにお店に足を運ぶ人が増えれば良いなと思ってて。そうすればレコード屋さんが潤って、潤ったお店は仕入れが出来るのでもっともっと面白いレコードが増えて、DJも面白いレコードが買えて、それをクラブでかけて「このDJ面白いから」ってなってクラブにお客が足を運ぶっていう風な循環が出来れば良いなって思ってる。


森田:いやぁ~、良いですね!! まさに好循環!! でもこれはマジで広めましょうよ。「和モノ」!! 僕は本当にそう思う!!だって西洋の猿真似しているうちは、たぶん何も変わらないですもん!! これぞ温故知新!!


※一同:だねぇ~!!(笑)




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



なかのわものボーダレス・プレゼンツ
『国産レコード解放区』


2015年03月28日(土)@heavysick ZERO
OPEN&START/23:00
DOOR/2000YEN
※W.Fにて1ドリンクサービス
※女性の方は500YEN OFF

ラインナップ:
永田一直
吉沢dynamite.jp

珍盤亭娯楽師匠
珍盤亭一門
[MOCHO / 珍盤亭JAZZ太朗 / 珍盤亭達磨 / コレ兄]

ショップ:
TURNTABLE TOKYO
オントエンリズムストア

フード:
Ton 2 junction

------------------------------------------
珍盤亭娯楽師匠(DJ Waterdamage)

音頭、コミソン、サンバに和グルーヴ。ご当地モノ企業モノ学校モノ。
星の数ほど埋もれている珍盤を日本中で掘り起こし、 破壊力抜群のMIXで、フロアは1人残らず悶死!!! ダンスも酒も白飯もすすむ、 味付け激濃珍味(=珍盤)のフルコース!!! 『爆SHOW珍盤寄席の真打』 珍盤亭娯楽師匠・登場!!

※以下、ミックス作品の数々
・twitter:@Waterdamage1972
・Instagram:chinbanteigoraku
・BLOG:http://abpblog.exblog.jp/



------------------------------------------
小柴(DJ 珍盤亭達磨)
中野ブロードウェイ3Fにあるショップ「BLOX」にて30年以上に渡り店長(経営)を務めた。

PAGE TOP ↑

■PAST ENTRIES■
[admin]