【お客様】珍盤亭娯楽師匠(以下:) ※写真中/ 小柴(以下:小柴) ※写真右
【司会】森田貴宏(以下:森田) ※写真左
【バーテンダー】ミホ

ミホ:本日のお客様はお二人。まずは中野ブロードウェイ3Fにある雑貨店”BLOX”を30年以上支えた元店長であり、現在はheavysick ZEROのすぐそばにある、ご飯、お酒、音楽が楽しめるキッチンバー”AC”の店主である「小柴」さん。
そして小柴さんも大推薦の珍盤と言われる和モノ/日本のレコード音源でDJする「珍盤亭娯楽師匠」です。

司会はお馴染み中野から世界に向けてスケートボードと世界平和を発信し続ける「森田貴宏」氏をお迎えして今宵もお届け致します!!



森田:世界の珍盤亭娯楽師匠さん、そして紹介してくれた小柴さん、今日は宜しくお願い致します!!


/小柴:宜しくお願い致しま~す!!


森田:実は僕、師匠達が行っているいわゆる「和モノムーヴメント」に関しては前々から噂だけをある筋から聞いてましてね。小柴さんのfacebookでも昔の「和モノ」レコードのジャケットをあげてたり。そんな中、「和モノ」レコードのDJでも特に「ヤバいのがいる」みたいな事を聞いてたんですよ。で、この間たまたま師匠のイベントに行けて、めでたくCDを買わせてもらって聞かせて頂きました。


:頭が爆発しちゃったんじゃない?(大丈夫だった?)


※一同(笑)


森田:いや、とにかくもっと70年代の「ルパン三世」とか、「太陽にほえろ」とかのいわゆる「レアグルーブ」や「ジャズファンク」的な要素の物がメインなのかと思ってたら、、、大どんでん返しでした(笑) 実際聞いてみて「珍盤亭娯楽」という師匠のネーミングがまさにぴったりだと思いました。元々一番はじめにDJをやるきっかけって何なんですか。


:最初はダンスをやってたんで、ダンスミュージックやヒップホップミュージックを聞いて、レコードを買って、ダンスの為にレコードをDJに渡していてショー用の音楽を作ってもらって、ヒップホップを聞きながらずっとダンスをやってたんだけど。


森田:じゃあダンス甲子園とか?


:そうそう。その辺とか90年代頭とか。


小柴:関西ではブイブイ言わせてて、関西では結構(有名)なチームでね!


森田:師匠は関西だったんですか!?そのダンスチームの名前は??


:覚えてないんだよな~


※一同(笑)


:でも「ギャングジャップ」とかそういう名前だったような???


※一同(爆笑)


森田:じゃあ、ヒップホップのダンスをやってて、そこからもっと音楽に傾倒して行く感じ?


:そう。東京にダンスで出て来て有名になりたいって思って来たんだけど、チームメンバーの一人が腰を痛めて辞めちゃったの。でもそこから俺1人でダンスをやっていってたんだけど、、、でも1人で踊ってるとやたらテンションを保つのが難しくて、、、


森田:孤独すぎるって事ですか?


:そう!それ耐えられなかったのかもしれない。


森田:それはいくつくらいの時ですか?


:それが30歳前くらい。その頃もレコードは買ってたんだけど、ダンスの方が夢中だった。クラブ行っても1人で踊ってて。でも次第に1人でやっててもつまらなくなって、で結局DJでもやってみようかなって思って、、、ターンテーブルも持ってない頃に、たまたま友達のクラブでレコードだけはあったんで回してて、でもうまく回せないしとりあえずかけてるだけ。

でもやってって楽しいなっていうのはあったんで、ターンテーブルを1つずつ買って、次の月はDJミキサーを買って、金貯めてやっと揃って、なんとなく出来るようになった時に、たまたま友達のイベントでDJやってくれと頼まれて、ある程度繋げられるようになったらお客さんも乗ってくれて。それ位から「ダンスも良いけどDJも面白いな~」と思う様になって。

最初はヒップホップのサンプリングソースに興味が出てSOUL、FUNK、JAZZ、BLACK MUSICのDJとしてやり出した。DJ名も「 waterdamage(ウォーターダメージ)」っていう名前でやってたんだけど、「和モノ」をやりはじめてから出演している「和モノデリック」という恵比寿「Enjoy house」で開催してたイベントで、「“和モノ”と”waterdamage(ウォーターダメージ)”ってなんか合わないなぁ~。なんか違う名前考えてよ。」て共演者から言われて。

その頃、いわゆる「珍盤」という変なレコードを集めていたのと、ちょうど夜中に落語のテレビを見てて、落語って話に波をつけて、最後にはオチをつけて話を展開していく所がDJと似ているなぁ~って思ってさ。DJもその時々で盛り上げて、最後はいかに締めるか?みたいな所が一緒だって思って、今の名前に決めたの。「珍盤亭娯楽」に。それだったらその名前にマッチするように着物や浴衣を着てっていう演出もするようになった。演歌歌手が衣装チェンジするように、お客さんも目でも楽しめるし、歌でも楽しめるようにっていう感じでエンターテイメント色を自分なりに考えてやってる感じ。


森田:ほぉ~。すげえ~!!この人に歴史ありっすね。(笑)そこからちょっと話はずれますが、師匠、昔スタントマンやってたんですか?(笑)


:そうそう(笑)さっきの話からだいぶ遡るんだけどさ。俺が中学生くらいのとき、ブレイクダンスブームがあって、俺も便乗してダンスをやりはじめたんだ。だけど、全然上手くならなくて速攻で辞めちゃったんだよね。

でもその後、ジャッキーチェーンとかキョンシーとかっていうカンフーブームが来たんで、今度はカンフーを見よう見真似でやっていて、スタントマンになりたいと思って「ジャック」のオーディションに行ったんだよ。

で後日、合格の通知が来て「ヤッタ!JAC(ジャック)に合格した!」ってなったんだけど、その封筒の中に明細書が入ってたんだよ。「入学金●●●円、衣装代●●●円、授業料●●●円、、、、総額:●百万円」。。。

森田:総額!


:総額!「そんなにいるんだ!!」って。もちろんそんなお金もあるはずが無く、JAC(ジャック)の夢は断たれた!(笑)


森田:やっぱり世の中「金」か!と(笑)


:そう!世の中「金」かと(笑)。で当時、「ザ・オーディション」ってオーディション雑誌があったんで、今度は映画スターの倉田保明の倉田プロモーション事務所にオーディション受けに行ったんだけど。

で後日、封等が来て「合格しました」と。合格通知が来まして、で明細が入ってまして、、、「入学金●●●円、衣装代●●●円、授業料●●●円、、、、総額:●十万円」あれっ?JAC(ジャック)より全然安い!ってなって、、、それで結局入ったんだよ。


※一同:おぉ~。(笑)


:それで入って、5年くらいは行ってたと思うんだけど。ある程度の授業を受けるとテレビや映画の仕事にたどり着くという感じで、高校行ってたんだけど「俺はこの道で行くんだ!」と腹をくくって、高校も辞めて大阪に出て行って、最初の何年かは仕事もなくてアクションの練習。

ある程度うまくなってきたら撮影とかに出るか?ってなって「やった!」と。東映とか松竹とか時代劇で京都まで撮影に行って、アクションかと思いきやフタを空けたら通行人とか死体役とかで。でその後くらいに忍者の役がたまたま俺に回ってきてやったら、監督に気にいられて、仕事がちょこちょこ来るようにはなったけど、当時で5千円いかないくらいのギャラで。命綱無しでお城の屋根を走ったりとか、暗い中で橋桁(はしげた)を移動するとか、危ないし怖い、ホント死ぬ!みたいな仕事をしてた。
それも超端役で、やっぱりあんま顔が出なくて、、「俺はこんなんじゃないんだ!」ってなって。(笑)本当は俺、香港映画とかアクション映画に出てスターになりたいんだよ!って思ったたんだけどさ。

結局そこからちょっとやさぐれちゃって、、、授業もあんまり行かなくなって。その時期に倉田プロモーションの中で結婚する人がいて結婚式の余興をやる事になって、たまたま俺はダンスをやろうとなってヒップホップダンスをやる為にクラブ行ってステップ考えたりしてたら昔の記憶が蘇っちゃって、ダンスがめちゃくちゃ面白い!!ってなってさっきの話に繋がっていく感じ。




森田:ここで話を変えて、僕に師匠の存在を教えてくれた小柴さんの話をしたいと思います。

僕は元々は中野ではなく、隣町の高円寺出身なんです。だけど地元高円寺にはスケートする場所が見当たらなくて、色々と点々としてたところに「中野サンプラザ」だったんです。当時は明らかに高円寺と中野って全く違うイメージの街で。中野は特にブロードウェイがヤバくて、中でも3Fの一番奥にある店「BLOX」はその中でも俺達スケーターにとっては最重要だったんです。どこから仕入れてるんだよ?って聞きたくなるようなモノが売ってたり、何でここにあるの?っていうようなアメリカの最新の服やら雑貨やらがわんさか売ってた。イケテル物ばっかり売ってる店。そこに堂々と真ん中で睨みを利かせていたのが小柴さん(笑)。


小柴:ガキが来たら必ず睨みつけてたから。万引き防止として(笑)


森田:今でこそ小柴さんと僕は仲良くさせてもらってるけど、若い頃、うちらの地元連中の間では「あのBLOXのおやじムカつくよ。なんでいつも睨んでんだよ」っていう風に見てたんですよ(笑)。当時の僕らにとってアメリカのストリートカルチャーは興味の全てだったし、そこに1番惹かれてたんですよ。当時小柴さんが居た「BLOX」にはそのアメリカのストリートカルチャーが凝縮されてた。

中野で昔からスケートしてたりバンドやってたりっていう面々で小柴さんの影響を受けていないヤツは居ないくらい。今になって小柴さんのことを知れば知る程、当時のアメリカンカルチャーをマジで仕事にしてた人じゃないですか?アメリカンポップスとかロックとかにマジで精通してる。

で、そんな人がある時「俺の師匠」って言って、どう考えても年下の「珍盤亭娯楽師匠」を僕に紹介してくれたんです。そこからさらにあのCDを聞いて「へぇ~」ってなって(笑)。だって師匠のミックスCDは「祭りばやし」から始まって、、、祭りの中でもさらに喜びの部分に焦点あててたりとかっていう。他にもよくぞこんなドープでコメディーな楽曲をメジャーからリリース出来たな!!っていうような曲達が入ってる。当時の日本人達が何とかして世の中を明るくしたいって思いが伝わって来るんですよ。全部、生声、生音、コーラスだけでもよくぞここまでのコーラスを集めたなぁとか。とにかく戦後の日本人の情熱を結集した楽曲のダイジェストのような。だけども師匠、あれはソウルミュージックですよね?


:そうそう。自分なりの解釈でいうとまさに日本のソウルミュージックだと思ってる。アメリカ人にとってブルースやゴスペルがある様に、日本の演歌とか民謡とかも、それと一緒じゃないかと。

俺も最初はアメリカの音楽が好きでやってきたんだけど、いつからかそこに何か満たされないものを感じ始めた。それこそ昔、親が美空ひばりとか北島三郎とかを聞いてて。で、若い時の俺は「なんだこのダサイ音楽は。リズム感も演歌だしよくわかんねぇなぁ」とかって思ってた(笑)。だけども何十年か経った今、実際にそれらを聞いてみると、歌詞とかめちゃくちゃ良いんだよね。案外そこが最終的には心地よいみたいな(笑)。実際そこが原点なんだなぁと思って日本の音楽をもう一度聞いてみると、新たな発見が有りすぎる。そこでやっぱりDJとしてはそこを極めてみたいなと。

今は純日本の音楽も全然聞けるし、カッコ良いと思えるし、歌詞がとりあえず良い。そういう音楽の良さを今の自分自身が分かる耳を持ってて、分かる心を持ってるんだったらそれを他の人達に伝えないとダメだなって思った。根本、日本の心は絶対に誰でもある訳で、それをただ単に自分らの小さな枠で食わず嫌いして、寄せ付けていないだけ。それを解き放てばハマるっていう。それが俺がハマった理由でもあるし。


小柴:和モノの傘の中にジャンルがいっぱいあるんですよ。アメリカのパンクだったりブルースだったりの演奏に日本語を載せているようなジャンルもあれば、演歌だったり民謡だったり音頭だったりアニメだったりっていう日本独自のモノ達。で俗に世間で「カッコ良い」って言ってるのは、アメリカや外国の曲っぽい「和モノ」だと思うんですよ。

僕なんか珍盤亭師匠と出会って1年ちょっと経つんですけど、師匠のどこがカッコ良いのかというのは人それぞれですが、プレイの中で音頭とか民謡を普通に掛けちゃう師匠は僕から見たらすごくカッコ良いんですよ。

僕がパンクなんかを見た時は1976年で僕が中学3年。片やアメリカではイーグルスとかウエストコーストサウンドでロンゲでネルシャツ、パンタロンを履いてカッコ良いっていってた時に、イギリスからレッドツェッペリンとかが「ガー」って音を立てて上がって来て、その中からツンツン頭にガーゼシャツを着て出てきたあの衝撃。ロックがガラッと変わった瞬間。汚いモノがカッコ良くなったのと同じに、ロック→ブラックミュージック=「洋楽カッコ良い」って思ってた所に「ドーン!!」て僕の前に「和モノ」が現れた。
もう!こんな事があるのかと。


森田:ひっくり返っちゃったんですね?!それはもう衝撃でしたか?


小柴:衝撃でした。僕の音楽史の中ではパンクの出現と同じくらい衝撃ですよ。


森田:おぉ~。だからfacebookでも毎日「和モノ」のレコードジャケットの写真あげてるんですね?


小柴:たまにコレ恥ずかしいなぁとか思うけど、若い子達は知らないから紹介してあげようと思って。(笑)


:次世代など新しい人には新しいかもしんないね。


森田:それこそこの前、僕が師匠のイベントに行った時、フロアに外人さんが居たでしょ?


/小柴:居た!居た!


森田:終始ずっと踊ってたでしょ。「和モノ」で(笑)絶対意味とかわかってないと思うけど、終始楽しんでた様子でしたよね。音やリズムも外国には無い感じだったとは思うけど、あんなに外国の人が楽しんでるって事は、僕達が意味も分からないのにブラックミュージック聞いて踊ってた状況と一緒ですよね? いや~凄い時代になる予感がしますよ!(笑)まさに日本発信!!(笑)




森田:あ!それはそうと師匠はレコードをディグする旅を定期的に行っているっていう話を聞いた事があるんですけど。


:そうそう。それは毎年行ってる。


森田:毎年?あても無く旅をするんですか?


:実家が兵庫県だから、毎年実家に帰るついでに掘ってみようかなと。最初は大阪、神戸、京都くらいだったんだけど、今はもっとエスカレートしてて。レコード屋には意外に地方のカラーっていうモノがちゃんとあって、地方にしか置いてないモノがあるの。例えばその街を盛り上げる為に地方企業が作ったレコードとか、ノベルティー(非売品)モノとか。いわゆるご当地モノってヤツ。


森田:そんなモノにまで手を出してるんですか?(笑)


:もちろん。まだ知らないモノを聞いてみたいという欲が強いから。


小柴:「黄桜かっぱ」の曲のレコードを買いにわざわざ京都まで行って、、、


:あれはね、意外に東京じゃあプレミアついてて高くて。で俺はある情報筋から京都のとある場所に置いてあるって聞いてて。もう年月経っちゃったから置いてないだろうと思ってたんだけど。でもどうせなら現地まで行って確かめてみようと思って実際に行ったら、おみやげコーナーに当時の値段のままでデットストックとして売ってた。(笑)


森田:それ結構やめられないっすね。楽しいっすよね。(笑)


:そう。超楽しい。レコード掘るだけじゃなくて町の雰囲気だったり、レコード屋に置いてるレコードの順番だったり棚の感覚だったりが、地方によって全然違うし、店主によっても全然違う。実際に行ってそれを見るだけでも楽しいし、店主との会話も楽しい。

今はネットで何でも買える時代だけど、実際に現地まで行って探検みたいに、レコード屋さんを探して、お店があった時のワクワク感なんか最高。その店の店主が昔バンドをやってて、プロを目指してやってたんだけども成功しなくて、地元に帰ってレコード屋を始めたなんていうストーリーなんかも俺にとっては、たまらない。そこでは当時、店主自身が聞いてたレコードを売ってたりっていう店主の思いが乗っかったレコードを俺は客として頂戴している。そういった経験からレコード探しの旅に日本全国行ってみようかと思って毎年行ってるの。

そういう様子を自分のブログでもあげてるんだけど、それを色んな人が見てくれて、「俺も今度そこのレコード屋行ってみよう!」とか、実際にレコードを買いにお店に足を運ぶ人が増えれば良いなと思ってて。そうすればレコード屋さんが潤って、潤ったお店は仕入れが出来るのでもっともっと面白いレコードが増えて、DJも面白いレコードが買えて、それをクラブでかけて「このDJ面白いから」ってなってクラブにお客が足を運ぶっていう風な循環が出来れば良いなって思ってる。


森田:いやぁ~、良いですね!! まさに好循環!! でもこれはマジで広めましょうよ。「和モノ」!! 僕は本当にそう思う!!だって西洋の猿真似しているうちは、たぶん何も変わらないですもん!! これぞ温故知新!!


※一同:だねぇ~!!(笑)




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なかのわものボーダレス・プレゼンツ
『国産レコード解放区』


2015年03月28日(土)@heavysick ZERO
OPEN&START/23:00
DOOR/2000YEN
※W.Fにて1ドリンクサービス
※女性の方は500YEN OFF

ラインナップ:
永田一直
吉沢dynamite.jp

珍盤亭娯楽師匠
珍盤亭一門
[MOCHO / 珍盤亭JAZZ太朗 / 珍盤亭達磨 / コレ兄]

ショップ:
TURNTABLE TOKYO
オントエンリズムストア

フード:
Ton 2 junction

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珍盤亭娯楽師匠(DJ Waterdamage)

音頭、コミソン、サンバに和グルーヴ。ご当地モノ企業モノ学校モノ。
星の数ほど埋もれている珍盤を日本中で掘り起こし、 破壊力抜群のMIXで、フロアは1人残らず悶死!!! ダンスも酒も白飯もすすむ、 味付け激濃珍味(=珍盤)のフルコース!!! 『爆SHOW珍盤寄席の真打』 珍盤亭娯楽師匠・登場!!

※以下、ミックス作品の数々
・twitter:@Waterdamage1972
・Instagram:chinbanteigoraku
・BLOG:http://abpblog.exblog.jp/



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小柴(DJ 珍盤亭達磨)
中野ブロードウェイ3Fにあるショップ「BLOX」にて30年以上に渡り店長(経営)を務めた。



【お客様】J.A.K.A.M.[JUZU a.k.a MOOCHY](以下:MOOCHY)
【司会】森田貴宏 (以下:森田)
【バーテンダー】ミホ


ミホ:皆様、2015年いかがお過ごしですか?此処・中野heavysick ZEROは毎度、様々な音楽と人が行き交っております。そんな現場により多くの皆さんに訪れて頂くべく今回も特別なお客様をお招き致しました。

今回は司会者”森田貴宏”氏とも十年来の付き合いであり、現在、怒濤の連続/毎月リリースを行っている”J.A.K.A.M.ことJUZU a.k.a MOOCHY”氏!!
氏は世界をまたにかけている為、第2回目にして初の試みスカイプでのお招きトークを致しました!!


森田:heavysick ZEROトークラウンジお越しいただきまして誠にありがとうございます。

MOOCHY:ありがとうございま~す。

森田:いきなりだけどムーチー君、謎が多くない?

MOOCHY:秘密主義者的なとこあるね。あんまり知られたくないかも知れない。。。
ステージとかあんまり目立ちたくも無いから。。名前とかも。。。

森田:だから名前もさぁ、まず「JUZU」って言うはあの「数珠」?

MOOCHY:そうだね。森田と逢った時には「数珠」してたよ。

森田:してた。してた。

MOOCHY:バイオレントグラインド(下北沢にあった伝説的なスケートカルチャーショップ)とか、そこら辺の人とか「数珠(ジュズ)メン」て呼ばれたりして。

森田:ジュズメン!?

MOOCHY:その時代、~メンとか言うのが流行ってたから。今も「数珠」してるけど。これはね、セネガルのミュージシャンの友達からもらったんだけど。「これをお前にやるからつけろ!」ってなって。

★https://vimeo.com/67741339?from=facebook★

森田:そのセネガルの数珠と日本の数珠は意味としては一緒なの?

MOOCHY:けっこう近いね。これも1つぶ1つぶ数えるから。

森田:そもそもファッション的な所で数珠なのか。それとも。。。

MOOCHY:例えば、NXS(ネクサス)とかも「連鎖」っていう意味だったりするんだけど、さっきの秘密主義的な所も含めて自分が宇宙全体の一部であるって事が根本的に小さい時からあるから。


森田:俺は一番最初にムーチー君と出会ったのは(中野)サンプラザだと思うんだ。当時はすごい長髪で、背が高くて、ごっつくて、刺青も入ってて、今とあんまり変わらないような感じだった。

スケートする場所にちょくちょく居て異様な存在感を出してたのを凄く覚えてる。スケートに乗って技をやるっていうよりは、ただ滑っている感じ。で、ちょっとしてからほんの少しだけムーチー君と話せるようになったら「バンドやってる」って聞いてね。

俺も音楽には凄く興味があったから「どんな音楽やってんですか?」って聞いた時に「説明なんか出来ないから見に来いよ!」って言われたと思う。(笑)


MOOCHY:実際、バンドのメンバー全員バイオレントグラインドっていう所のスケーターだった。普段の生活でのイラつきとか、捌け口としてスケボーやバンドがあって、とにかく爆発するというか、魂を燃焼するというか、それしかやる事ねえなって感じだった。世の中に幻滅してて、冗談抜きで幼稚園から自殺願望があるくらい、この世の中にうんざりしてたから。

「やっぱ音楽しかこの世の中に意味ねえなぁ」と15歳で完全に思ってた。
俺は毎日満員電車に運ばれて学校に通ってて、それこそサラリーマンとかOLが豚みたいに運ばれて行く中、中坊の俺らがつまはじきにされて、欲望と疑心にまみれた都会の中で、大人達のエグさとかを知っていった。だからブラックミュージックとかもある意味、すごいヒドイ状況から始まっている訳じゃん。そしてそれは俺らの状況にもあったと思うんだよね。


森田:ではそんなムーチー君が一番最初に音楽の道に入るきっかけになったものって何なの?

MOOCHY:やっぱ小6の時に、友達の兄ちゃんがパンクバンドやってて、それを見に行ったのがデカかった。

森田:それは有名とかでも何でもないの?

MOOCHY:全然無名。ブルーハーツとかラフィンノーズをハードコアにしてたりするような感じ。俺的にはそのバンドの取り巻き連中がモッシュじゃないけど、ポゴダンスとかパンクな感じでぶつかり合ったりしてて、なんか楽しかった。

小さい頃から音楽は好きだったけど、吹奏楽部とかに入りたいとかではなくて。
でもそのバンドを見てからは音楽をやるって事とか、音楽という場所でお客さんも含めてライブに参加して、そこで何かが起きてる状況を体感したね。


森田:そういえば昔俺が「FUGAZI」のTシャツを着てたら、いきなりムーチー君が話しかけてきてくれて「お前、FUGAZIなんて聞くの?」って言われて、「俺、イアンマッケイ大好きっす」みたいなこと言ったら「へぇ~」って。
別にそこから特に話しが発展した訳では無いんだけど。。

MOOCHY:森田はさぁ、わりと上昇志向が強いじゃん。大会出るとかさぁ。俺の場合、スケボーで大会出るとか1ミリも思わなかった。逆に森田がZ BOYSのメンバーだっていう話も聞いてたし、俺らの中(中野/杉並)では一段抜けて、スケボーがうまい奴って印象があった。けど、うまいからって「森田君すごいね!」とか言う訳
でもないし。

森田:(笑)ないね。ないない。

★Fugazi/Waiting Room★

MOOCHY:ただ「FUGAZI」聞いてるってなると、森田もただの上昇志向の目立ちたがり屋ではないんだなって思った。森田なりの真実探求をしてるんだなぁと認識して。「FUGAZI」って今でもカッコ良いと思うし、メッセージがあるじゃん。実際その人が何聞いているとか、何の本読んでるとかでその人のことが何となくわかる
じゃん。あの当時、まだそういうの聞いてる人、根本的に少なかったし、そこらへんは俺もいきなり親近感が増して。

森田:あぁ、だから俺もそのことがすごく印象的なの。周りの人で「FUGAZI」のTシャツ着て反応してくれる人なんて少なかったからね。

当時俺は、すごい音楽堀りまくって、自分の糧にしようと必死だったの。でもそれ以降次第に音楽の趣向も変化していき、ムーチー君ともほとんど会わなくなった時、たまたまシスコから出てた2枚組のCDで「MOOCHY」ってやつを見つけたんだよね。

実際ゲットして初めてムーチー君の鳴らしている音を聞いたんだけど、俺のイメージとは全く違ったというかね。普通ハードコアバンドやってた人って、打ち込みとかを嫌う人が多かったイメージがあったから。そのCDはそういった勝手な俺の先入観を叩き潰してくれた感じだった。


MOOCHY:自分自体の音楽性は雑食だから、聞けるモノはなんでも聞いて来たんだけど、まさか自分が「DJ」みたいなモノになるとか、「DJ」と思われるとか全く希望も想像もして無かった。

高校1年くらいから、バンドもDJもやりはじめて、18歳くらいから自分でパーティーのオーガナイズをやり始めて。新宿の「さんぼうず」ってとこでやったり。

森田:うわ~「さんぼうず」懐かしいね~。

MOOCHY:自分の中ではジャンルとか最初から決めてなかったし、ハードコアかけたりヒップホップかけたり、もうちょっとヘンテコな音楽を色々とかけはじめて、色んな所から仲間が自然に集まって来て渋谷のセンター街の近くでクラブをみんなでやってた。

森田:名前なんだっけ?

MOOCHY:「HIGH HOLE」。
そこである程度、俺のDJ目的で来る人が増えて来て、だんだん色んな人が集まり始め
て来て、あれよあれよと認知はされてきたんだけど、それがすごい邪魔になってきた時期があって。。。

海外はそれこそジャングルとかドラムンベースが生まれて来たんだけど、それらはイギリスとかヨーロッパのやつらがアメリカのNYで起こったHIPHOPとかHOUSEとか、ジャマイカで起こったレゲエなんかの影響で作られ、生まれて来た音楽だったと思う。だけどそういう生まれてくるムーヴメントを垣間みた結果、どんどんそんな連中がメジャーアーティストになって、良くも悪くもセルアウトしてメジャーに食いつぶされて捨てられて行く所まで全部見てきて、そういう過渡期にある時に俺は別に日本のドラムンベースを盛り上げよう!っていう事がやりたかった訳ではなく、ジャングルでもヒッピホップでも此処(日本)から生まれた音楽か?っていうのには疑問視せざるを得なかった。

実際に俺がやってた「RHIYTHM FREAKS(リズムフリークス)」っていう「HIGH HOLE」からはじめたパーティーは本当に色んな音楽を掛けてた結果、色んな人が来てた。車いすの人から、中学生から、ドレッドから、刺青だらけの人から、芸能人から、本当に色んなジャンルが集まっていたから。


森田:「HIGH HOLE」俺はそんなに行ったことは無かったけど、俺らが渋谷でスケートした帰りとかに少し覗いたりすると本当にそんな感じだったね。結構異様な感じで盛り上がってたのを覚えているよ。それにしてもボーダーレスというかジャンルに縛られない音楽を今もやっているよね。


MOOCHY
:19歳の時にやってた「EVILPOWERSME(イービルパーズミー)」というバンドも一概にハードコアとも言えないし、ラウドミュージックとでもいうのかな。周りを見れば、バンドはバンドで海外への憧れは多いかもしれないけど、結局は誰も作った事ないものを作らなかったら意味ないって思う。

例えば俺がやってる音とか、俺が感じてる事に共感する人が今東京には100人しか居なかったとしても、地球全部で取ったら絶対10万人ぐらいは居るだろうと考えてて。。。
俺はそこと繋がれる事をイメージして音楽をずっとやってる。
昔バンドでPUSHEAD(パスヘッド)のレーベルからオファーが来たりしたのも、ある意味”伝わる人には伝わったんだと確信したし。


森田:そうだったね。ビースティーボーイズの「グランドロイヤル」とか結構いろんなところから音源出したりしてたもんね。

MOOCHY:だけど俺がやりたいのは商売じゃないからさぁ。商売にしなきゃいけないけど、そこが前提じゃないから。

やっぱ何か自分が生きてる事の意味を探求してるし、この世界の中で共感者を増やして、ちょっとでもなんか自分が孤独じゃないって思えれたらそれが幸せだと思う。

俺自体、色んなミュージシャンから色々学ばせてもらってるし、みんないろんなバックボーンがあるし、その時にしか会えないようなミュージシャンもいっぱいいるんだけど、音を聴けば思い出すし、全部思い出深い。

みんなから学んだ事はまさしくプライスレスで、あとは俺のスキルでどうやってこの素晴らしさを伝えるかっていう事だね。俺はDJになりたかった訳じゃなくて、ただ音楽聴きまくって、好きなのをかけてみんなで一体感を持ちたいっていうことをやってきた結果、気付いたらDJをやってた。

ここから何をやりたいのか?と言ったら、やっぱり音楽を作りたい。バンドだろうが何だろうが手法にはこだわってないけど、俺1人ではできない音楽を俺はやりたいと思ってる。



森田:来たる3月11日には新しい楽曲のリリースも控えているでしょ?

MOOCHY:そうそう今度出す曲は「WARRIORS」と「NEW DAY」って曲の7インチシングル。

片面にはそれこそ今年始めに森田のスケートビデオ"New Year's Card 2015"に楽曲提供した「WARRIORS」という曲と、もう片面は沖縄出身のRITTOっていうラッパーとアフリカ/セネガル出身のラッパーがコラボレイトした楽曲の2曲をリリース予定になってる。

そしてその2曲に共通して使っている楽器が東京月桃三味線の三味線で。。。
↓↓↓
★COUNTERPOINT EP.3★

森田:ウォリアーズ」の三味線凄く良いよ。スピード感があって本当にカッコ良い。スケートの映像目線で俺はどうしても聞いちゃう曲だった。

俺自身も「東京月桃三味線」とは池袋でスケートのビデオ撮影をしていた時期に高田馬場駅で彼が1人で演奏しているとこを見つけて出会ったのが最初。そしたらやっぱりムーチー君が先に繋がってた。(笑)

俺も彼と出会った時に直感で、何か一緒にやりたいって思い、居てもたっても居られなくて、震災以降最初の俺のビデオパートを彼の楽曲で作らせてもらった。とにかく「彼の三味
線には何かがある!」って思った。だけどそのシングルに収録されている音源には他にもフィーチャーしているアーティストがいるよね?

★New Year's Card 2015★

MOOCHY:今度の3月7日のheavysick ZEROでやるイベントに音源でも絡んでいるラティールが入る予定だし、バイオリンで参加してくれた及川さんもイベントに来てくれる予定。

森田:あのバイオリンも凄く良いメロディーなんだよね。

MOOCHY:及川さんは女性なんだけど、やっぱすごい「ウォーリアーズ」でね。パーカッションを叩いているラティールもそう。
元々「WARRIORS」は「ホピの予言」という映画のサンプリングがあって、アフリカで
録音した音源と3.11の直前にアフリカのセネガルに行った体験を元に作った楽曲。

森田:ラティールはどこの国の人なの?

MOOCHY:セネガル。ラティールとの出会いは、、あんまり覚えてないんだけど、FLYING RHYTHMS(フライングリズムス)との対バンとかかな。

昔から接触はあったけど、実際に一緒に音楽をやるようになったのは、俺が福岡から東京に戻って来た2010年。それくらいのタイミングに吉祥寺の「Cheeky」だったら録音出来るかもってなって、いきなり「Cheeky」でラティールと録音して。それがちゃんとラティールと話した最初だった。だけどその2、3ヶ月後にラティールが「俺セネガル帰るけど来なよ!」って言ってくれてチャンスだと思って、速攻で(飛行機)チケットとってセネガルに飛んだんだけど。

森田:へぇ~~。

MOOCHY:及川さんとの繋がりもアルジェリアの女性アーティストから、エジプトの伝統的/国民的歌手「ウーム・クルスーム」の歌を使ってのリミックスオファーを頼まれて、俺はエジプト音楽について少しはレコードを持ってはいたけど、そんなに詳しくはなくて。日本、海外の音楽を幅広く聴いてきたつもりだったんだ
けど、「ウーム・クルスーム」とかは全くノーマークで、「俺、全然、地球の音楽わかってねえなぁ~」って反省した。

★ウーム・クルスーム★

それから、そのリミックスをした事をツイッターにあげたら、今度heavysick ZEROで踊ってくれるベリーダンサーのタケちゃん(TANISHQ)が反応してくれて、タケちゃんが「ウーム・クルスーム」の研究家でもある及川さんをイベントに連れてきてくれた。


森田:いろんな音的要素やそれぞれのバックボーンがあの曲「ウォリアーズ」を盛り上げたんだね。

MOOCHY:今出た「ウォリアーズ」の言葉で「ウォリアーズ=戦士」と訳すのはポピュラーだと思うんだけど、俺は「勇士」の方が意味的に近くて、、、

「戦う」というのも実際にはあるんだけど、世の中のシステムとか、警察、政治、法律、道徳とか含めて感じてたけど、「言う事聞け」「おとなしくしてろ」みたいな事を言ってるやつの一番上には戦争してるやつがいるじゃん。
大量に殺して、自分らだけ私腹肥やしてるのわかってて、、、「そんな奴らの意見なんて聞けねえよ」と思ってたから。

それはスケートも自分の足でプッシュしてさぁ、つかの間の開放感、プッシュした人間にしか味わえない快感がある訳じゃん。それは1つの勇んでいるからこそ得れる自由。それは1人の世界ではあるんだけども自分に勇む部分でもあるし、世界に対して勇む部分でもあると思う。

今回の「ウォリアーズ」のPVは、「ホピの予言」のナレーションを使わせてもらう事になってるんだけど、3.11後の日本とか、日本人だけの問題じゃなくて、ネイティブアメリカンとかアフリカンとか中東の人達とか含めて、色んな人がそれぞれの中で戦わなければいけない状況で、それは別に武器を持つとかって言う訳じゃなくて、支配者にコントロールされて自分が自分じゃなくなる状況は誰もが避けたい訳で、それぞれの戦いはあると思う。

そこには苦痛だけじゃなくて、大事なモノを守りたいという気持ちはある訳で、今、テロがどうとかって言ってるけど、逆を返せば「いいなりになるか?ならないか?どっちなんだよ?」って言われてるにしか聞こえない。



森田:話は変わるけど3月7日のヘヴィーシックのリリースパーティーでは俺とムーチーくんのトークショーもやるよね。「WARRIORS」のPVもそこで初の試写をする予定なんだけど、スケーターである俺が実際に人前で何か話すなんて言うオファーを最初に出してくれたのは何を隠そうムーチー君達が主催する「ONENESSCAMP・ONENESS MEETING」というパーティーが最初だった。


MOOCHY:ONENESS MEETINGは俺も主催の一人。
そのメンツの中には鎌倉のパン屋PARADISE ALLEY[じゅんぺい]の哲学は「全ては菌で,世の中には発酵と腐敗しかない。全部の生命、意識そのものも発酵と腐敗がある」

俺と森田が会って、お互いに何か感染したり、また他の人に感染したり、そこで何か自分の中でウィルスを昇華してまたエナジーにかえてけれるって事が発酵なんだと。
それこそアイツもアーティストだと思う。感動させるし。


森田:凄いね。
それこそ音楽フェスとかに俺のような人間をステージに上げてくれると、ある意味極端な人間のウィルスが飛ぶ機会になるんだ。それが良いか悪いかは分からないけど、俺はスケートや音楽に救われてここまで生きてきた人間だから。ストリートスケートや音楽から学んだ「自分で考え、行動する」っていうウィルスは確実に撒き散らそうと思うよ。


MOOCHY:動じないで冷静にいたり、熱くする所は熱くして震るいたたせたりして、みんなでイメージして1つに仕上げるという事は感動で、その感動を伝えずにはいられない。


森田:3月7日(土曜日)午後11時から中野ヘヴィシックゼロにて、今回ご紹介したMOOCHY君改め「JAKAM」の7インチシングルレコード「NEW DAY/WARRIORS」のリリースパーティーが行われます!!

自分も深夜12時から主役のムーチー君とトークショーを行います。そのとき初お目見えの新曲「WARRIORS」を使った私、森田貴宏が監督したドキュメンタリーショートムービーの特別試写会もやらせて頂きます。

出来るだけ多くの仲間のご参加を求めております!!ではでは当日は中のヘヴィシックゼロにてお会い出来ることを楽しみにしております!!
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MOVEMENTS
「J.A.K.A.M. COUNTERPOINT EP.3」
~New Day / Warriors Release Party~

2015.03.07(SAT)
@heavysick ZERO
・OPEN&START/23:00
・DOOR/2500YEN+1D
・W.F & ADV/2000YEN+1D

[DANCE FLOOR]
LIVE:
J.A.K.A.M. & THE SPECIAL FORCES
[ラティールシー+及川景子 with TANISHQ ]
OPSB

DJ:
J.A.K.A.M. (JUZU a.k.a. MOOCHY)
YOUSUKE NAKANO (DUBBING HOUSE)
FUSHIMING (HOLE&HOLLAND)


[LOUNGE FLOOR]
"New Day / Warriors"
森田貴宏×J.A.K.A.M. TALK SESSION!
from 0:00~0:40

DJ:
MACKA-CHIN (NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)
ACKKY (JOURNAL)
YO.AN (HOLE&HOLLAND)
TANISHQ (HABIBI TWIST)
HAGIWARA (FAT BROS)

EXHIBITION:
USUGROW

FOOD:
DAI(キッチン茶澤)

DECO:
NATSUKO


J.A.K.A.M./JUZU a.k.a. MOOCHY (NXS / CROSSPOINT)

http://www.nxs.jp/index

10代からバンドとDJ両方の音楽活動を並行して始め、スケートボードで知り合ったメンバーで結成されたバンドの音源は、90年代から国内外のレーベルからリリースされる。DJとしても革新的でオリジナルなスタイルが一世を風靡し、瞬く間に国内外の巨大なフェスからアンダーグランドなパーティまで活動が展開される。 ソロの楽曲制作としてもBOREDOMS等のリミックスも含めメジャー、インディー問わず様々なレーベルからリリースされる。電子音楽、インプロビゼーション、民族 音楽、そしてあらゆるダンスミュージックを内包した作品群は、キューバを皮切りに世界各地のミュージシャン達とも録音され、新たなWorld Musicの指針として、自ら立ち上げたレーベルCROSSPOINTから精力的にリリースされている。近年は音楽制作のみならず、映像作品、絵本や画集 のプロデュース、また野外PARTY,ONENESS CAMP"縄文と再生”を企画し全国で反響を呼ぶなど活動は多岐に渡る。2015年から始まった怒濤のヴァイナルリリースは既に大きな反響を呼んでいる。





【お客様】DJ YAS (以下:YAS) / DJ Quietstorm (以下:ロバート)
【司会】森田貴宏 (以下:森田)


森田:さてさて先月からHEAVYSICK ZERO12周年企画として始まったこのZERO TALK LOUNGEでございます。先月の初企画vol.0では、ここHeavysick Zeroを取り仕切る名バーテン「ミホ」さん(笑)にご指名を受け、この「ZERO TALK LOUNGE」の司会をさせて頂くことになりました、Heavysick Zeroと同じく中野ローカル、今年20周年を迎えるスケートショップ「FATBROS」の「森田貴宏」でございます。

本日は皆様をちょっとした中野アンダーグラウンドの小旅行にお連れ致しますので、どうぞ宜しくお願い致します!!(笑)!!

vol.1と題した記念すべき第一回目は!!なんと豪華に!!素ん晴らしいゲストをお招きしておるのです!!

日本のヒップホッププロデューサーとして、あの名曲「証言」のプロデュース、伝説のグループ「LAMP EYE」プロデューサー、そしてここ日本に、ターンテーブリストという言葉を定着させてしまったきっかけでもある音楽集団「ケムリプロダクション」を主宰するDJ YASさん!!と、そのDJ YASさんと共に長い間、日本のアンダーグラウンドヒップホップを「TIGHT」という長寿イベントで共に盛り上げてきたTOKYO MOST MISTERIOUS from「中目黒薬局」、日本語ペラペラ、もちろん英語もペラペラ、だけども稲中卓球部のギャグも理解出来る、異色のアメリカ人ターンテーブリストであり、ミュージックプロデューサーのDJ QUIETSTORMことロバートさんのお二人に今日はお越し頂きました!(笑)
まずは本当に来て下さって、ありがとうございます!記念すべき第1回目のゲストです!!


YAS:お招きありがとうございます。

ロバート:幸いです!!!


森田:とうとう今月の9月22日に中野にて!それこそ「初」の『TIGHT in Heavysick Zero』をやるという事で、、、


YAS:タイミングですね。ご縁です。
もともとFATBROSの萩原さんと森田とも出会ったのが中野だもんね。


森田:そうですね。でも本当に昔のことに感じますね。


YAS:97年に中野に引っ越してきてね。で、99年にはまた地元に戻ったから。


森田:あの当時、最近やけにHIPHOPのヤツ見るな、それもYOU THE ROCKとかっていう有名人なんかをよく見るよ!って中野のローカルの中ではでウワサになってたんですよ。だけど僕なんかは「いや居ないだろ~。さすがに中野にYOU THE ROCKは来ね~だろ!」みたいになってて。(笑)


YAS:そうなんだ?(笑)
当時は俺の家もあったからいろんなヤツが中野に結構来てたからね。


森田:ロバートさんとはTHA BLUE HERB繋がりで麻布十番の事務所にBOSSと一緒に遊びに行ったのが最初でした。
でももうその時点で今と変わらない語学力持ってたのを良く覚えてます。


ロバート:キャバクラのおかげです!!w


~ 一同爆笑 ~



森田:あの僕がYAS君を一方的に知った当時って、ちょうどヒップホップとスケートが特に強く結びついた時代だったんです。ちょうどその前くらいから日本語ラップのCDやレコードを買い始めた時だったと思うんです。YOU THE ROCKさんがやってたラジオ番組(NIGHT FLIGHT)なんかも友達から教えてもらって、
その流れで結局「さんピンCAMP」に行き着くんですよ。


ロバート:「さんピンCAMP」居た?


森田:居た!居た!ロバートさんは居た?


ロバート:俺、「さんピンCAMP」は行ってなくて「鬼だまり」には居た。


YAS:96年の7月に「さんピンCAMP」は開催されたけど、その裏で俺たちは「鬼だまり」というイベントを1年に4回やっててさ、
最終回の96年12月31日は、1800人以上入ったんだよね。


森田:ホント凄い時代っすね。「さんピンCAMP」は僕も会場に居ましたから、あの空気感を今でも覚えていますよ。
あの時のLAMP EYEはヤバかった。キレキレだったっすね。それと話しは変わりますけどやっぱりDJ YASっていえば僕なんかからすると、あのジャパニーズヒップホップ不朽の名作「証言」のビートが大きいのですが。


YAS:95年にLAMP EYE「下克上」でメジャーデビューした時、渋谷のチャートに5位で入ってさ、レーベルも喜んじゃって「次のレコーディングやりなよ」ってなってリリース直後に1時間:4万円のビクターのスタジオを3日間も借りてくれたんだよ。


森田:4万円すか? そりゃまた凄いっすね。


YAS:ね。今考えたら凄いよね。RINOが「雷」をフィーチャーして1曲作ろうって言いながら俺の作ったトラックをそのスタジオでRINOと聞いてて。
そこで選ばれたビートが「証言」のビートだったんだ。


森田:え~そうだったんですか? でもそんな高いスタジオでトラック聞いてただけっていうのもなんか凄いですね。(笑)


YAS:それで2日目の集まりの時に、雷の誰だったけな?DEV LARGEとZEEBRAを誘ったんだよね。
俺はその時までDEV LARGEとZEEBRAとは、あんまり話した事がなかったんだ。


森田:じゃあ、ロバートさんとYASさんの繋がりは?


YAS:ロバートとはDJ KRUSHさん繋がりで知り合ったんだ。


ロバート:実はパードン木村さんがこの業界に入る1人目の僕の友達。まさに”GROUD ZERO”だね。


YAS:そうだそうだ!DJ KRUSHさんがパードン木村さんにMC50のシーケンサーを教わりに行ってたんだよね。
俺は当時KRUSHさんの付き人やってたから。それで車の運転手としてパードン木村さんの家にKRUSHさんと一緒に行った事があるよ。


森田:そもそもロバートさんが日本に来るきっかは何だったんですか?


ロバート:もともと親父の仕事で83年に、俺が中学3年生の時に初めて日本に来て。
それから87年にアメリカに帰って一旦大学に行った。それからブラジルにも2年行って、92年にまた東京に戻ってきたっていう。


森田:じゃあDJ始めたりレコードを買うきっかけは?


ロバート:83年の東京に居た時にハービー・ハンコックとかRun-D.M.Cが出て来て、そこから渋谷センター街のニューヨーク・ニューヨーク(ディスコ)や歌舞伎町のディスコとかに通ってたっていうのが始まりだった。



森田:では「TIGHT」を始めるきっかけっていうのは何だったんですか?


YAS:「TIGHT」は渋谷CAVEで始まったんだけど、俺は94年からCAVEのレギュラーDJ(箱番)をしていて、95年にCAVEが立ち上げたレーベルVortex(ヴォルテックス)より「LAMP EYE」デビューという運びになったんだ。だけど、その年の夏場に大喧嘩しちゃってさ、2年間CAVEには足を運んでなかったんだ。でもそこから和解して、98年から毎週金曜日に「TIGHT」を始めることになったんだ。


森田:ではその「TIGHT」でロバートさんと一緒にやるきっかけになったものは何だったんですか?


YAS:ロバートと俺の久々の再会があって、その時、ロバートの友達のアーティストが日本人とレコーディングしたいということを聞いて、俺がRINOを連れて行って曲を作ったの。でその時に「一緒に何かやらない?」ってロブを俺の方から誘ったのがきっかけだった。


ロバート:そう、そう。その友達のアーティストがミスティック・ジャーニーメン(ザ・リヴビング・レジェンズのメンバー)だった。その2人が自腹で日本に来てて、ネットで連絡があってうちに一晩泊めて欲しいってことになったの最初。でも結局その後6週間、俺の家に居た、、、(笑)


https://www.youtube.com/watch?v=X10ZPROF_ZM
■Mystik Journeymen [Revenge Of The Goldfish (Ft. Rino)]


YAS:結局「TIGHT」はCAVEで1年間しかやらなかったんだけど、翌年の99年から六本木YELLOWに場所を変えたんだ。その時の第1回目にTHA BLUE HERBをゲストに呼んだんだよ。その頃から継続的に続いているモノが「TIGHT」なんだけど、ロブと俺は「TIGHT」やる前までそれほど接点が無かったのに今でも続いているという事はまだまだ答えが先にあるんだろうなぁって思うんだ。


森田:僕から見るとYAS君はロバートさんと一緒に居る時がとても居心地が良さそうに感じます。
DJの人ってどちらかというとその場の空気を大切にするような、聞き上手な人が多いと思うんですよ。案外フロントに立つアーティスト同士ってぶつかっちゃうことが多いじゃないですか。


YAS:俺も思うのは、バンドとかってやりたい事が噛み合なくなってきて解散とかしちゃうけど、HIPHOPはシンプルだから、そういうのを打破出来るジャンルだな~と思う。


ロバート:今晩は一緒に過ごすけど、明日は違う所でやっている。けど、浮気と見なされない(笑)。とても自由だよね。


森田:ある程度「自立している」っていう事ですよね。


YAS:そうそう。「個人の集まり」という所に着目してて「ケムリプロダクション」も「雷」もコンセプトはそこなんだよ。個人の集まりだから集まった時はグループとして動くけど、普段は個々でサバイブする。そうしていかないと誰かにおんぶにだっこになっちゃうでしょ。この世界そんなに甘くないから、みんな個々でやれるようにならなきゃダメだ!っていう所にスタートがあるんだと思う。

ロバートとはそういう関係が最初から出来てたから、普段は違う活動、違うフィールドに居るけど、いざ「TIGHT」やろう!ってなった時だけは即座に集まるというような関係。ミーティングの時も前向きな答えしか出て来ないし、お金が先にたってないから「TIGHT」さえ成立すれば、儲からなくても2人にとってキャリアとなって還元される。だからこそうまく続けていけてるのかな。


森田:今、YAS君とロバートさんってHIPHOPのDJですか?


ロバート:もちろん!

YAS:もちろん!


森田:ですよね。僕は今日それが聞きたかったんです。

ロバート:俺が知ってるHIPHOPのDJとは、レコード屋に行って色んなかっこ良いレコードや一小節を探して「HIPHOPをかける人」ではなく、何かを「HIPHOPとしてかけている人」ってことが重要なんだ。
HOUSEやどんなパーティーで回してたとしても周りの人達から「HIPHOPの人がかけているよ」と言われる事が誇りなんだ。だからこれからもHIPHOPのDJと自信を持って言えるように頑張ります!!

森田:ではズバリ「TIGHT」とはどんなPARTYですか?


YAS:「TIGHT」のコンセプトは【多角的視点からとらえたヒップホップ】なんだよね。

本来HIPHOPとはバンバータにしてもそうなんだけど、住んでる所から作って行くものなんだ。だからDJという視点においても、別にラップ入りのレコードをかけたり、ロービートのビートをかけるだけがHIPHOPでは無くて、自分達でアップデートしてかなきゃ行けないし、過去の事は勉強出来るけど、これからは俺達が作らないといけないから【多角的視点からとらえたヒップホップ】というコンセプトで始めたんだよね。
だから、人によっては「これがHIPHOPなの??」と思う人もいるのかもしれない。まあでもいわゆる「どストレート」なHIPHOP PARTYでは無いかもしれないね。


ロバート:「TIGHT」1年目の時は「インストヒップホップだけで、12インチのB面ばかりかけてるらしいよ~!」と話題になったくらいだよ!!(笑)


YAS:ちょうどHIPHHOPもオーバーグラウンドとアンダーグラウンドのすごく枝分かれの極限の時に始めたっていうのも大きい。当時はHIPHOPだ!HIPHOPだ!言ってるヤツら同士、飽和状態で発展しないように感じた時だったんだ。そこで俺達は異種格闘技じゃないけど、GOMAちゃん(ディジュリドゥ奏者)を呼んだり、矢部さん(矢部直/UFO)を呼んだりしてHIPHOP畑じゃない人を入れてある意味HIP HOPに科学反応が生まれる実験をしてたんだよ。


森田:確かにそういう感じでしたね。それと僕から見て「TIGHT」で衝撃を受けたのがフライヤーのデザインでしたね。得体のしれない煙が渦巻いていて、よく見るとそれが全部で「TIGHT」って書いてある。しかも煙って実は炎よりも温度が高くて、炎よりも危ないっていう、イベントのイメージがとてもよく描かれているように思いました。


ロバート:12年目まではCHICOさんがグラフィティで毎回「TIGHT」って書いてくれてたんだよね。レイアウトは僕がやってたんだけど。




■TIGHT実話&グラフィティ
http://tight-tokyo.com/jitsuwa


森田:いろいろ聞きたいことはまだまだ沢山あるのですが、、、文字数の関係とか、僕がここに遅れて来てしまった関係(本当にゴメンナサイ)などで、今日はこの辺でおひらきになってしまう訳なのですが、、、ですが!!ですが!!どうしてもこれが聞きたい!これが聞けないと始まらない!っていう質問を最後にご用意したのですがよろしいでしょうか?


YAS:どうぞ!

ロバート:どうぞ~!


森田:では最後に僕からとHeavysick Zeroからの共通の質問です!!ズバリ!YAS君、そしてロバートさんのお二人が今までにとんでもなく衝撃を受けた1枚は何でしょうか?


ロバート:EAZY-EのDOPE MAN。あんなにリアルで説得力がある人が言うとね。ホント鳥肌が立ったよ!


https://www.youtube.com/watch?v=Uda7RxWnJIA
■Eazy-E [Dope Man]


YAS:衝撃を受けたのはPublic Enemyの1st ALBUM。


https://www.youtube.com/watch?v=e-Z0aXB_qgA
■PUBLIC ENEMY [YO! BUM RUSH THE SHOW / FULL ALBUM] 1987


森田:イヤッタ~!!(笑)やっぱり!「TIGHT」はヒップホップだ!(笑)ありがとうございます!!
それぞれ凄いのを出してくれました!!(笑)これから家に帰ってもう一回聴いてイベントより一足先に熱くなっときます!!
今日はお二人とも本当にどうもありがとうございました!!


YAS:こちらこそ!

ロバート:こちらこそ!どうもありがとうね~!
当日は中野にてHeavysick Zeroで会いましょう!!


森田:ってな感じでロバートさん、そしてDJ YASさんに衝撃を走らせた至極の1枚!!
「EAZY-EのDOPE MAN」、そして「Public Enemyの1st」の 続きは来たる9月22日(月曜日/秋分の日の前日)PM11:00からのミッドナイトパーティー「TIGHT at heavysick ZERO」にて聞けること間違いナシ!!16年続く「TIGHT」の神髄、皆様どうぞここ中野Heavysick Zeroにてご期待下さいませ!!司会は私、マイキーっじゃなかった、、、中野ローカルスケーター代表「FATBROS」の「森田貴宏」でした!!それでは皆様最後まで読んで頂きましてありがとうございました!!


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TIGHT in 中野heavysick ZERO
feat.ELEMENTS



2014.09.22(MON)
@heavysick ZERO
・OPEN&START/23:00
・DOOR/2500YEN(1D)
・W.F & 24時まで/2000YEN(1D)

::::: B1F FLOOR :::::
DJ YAS & DJ QUIETSTORM
★OPEN-CLOSE SET★


::::: B2F ELEMENTS FLOOR :::::
GUEST:
DJ MAS aka SENJU-FRESH! (EDMATIC)
DJ FUJI (SOUL FLOAT / Novel Attraction Records)

DJ:
BOZMORI (A.B.P/JAP$TA)
COUTA (BEST PITCH RECORDS)
DIG-IT (MEATERS)
久美子 (黒妻)

FOOD:
_yA_yO_I

PHOTO:
KEEE!

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DJ YAS

95年『ランプアイ』のDJ兼トラックメイカーとしてデビュー。またラッパー集団『雷』の一員でもあり、96年には金字塔『証言』をプロデュースし認知される。同時期にDJ集団『ケムリプロダクション~以下KP』を提唱/主宰としてもライブ活動を重ねる。00年ソロ活動開始に1stアルバム『ライト』EL DA SENSEIとRINOをフューチャーしたシングル『ACROSS THE GLOBE』を発表。
その間も多くのジャパニーズヒップホップ作品へトラック提供している。02年に伝説のスケータでもあるトミーゲレロとの共作ミニアルバム『ANGLER FISH』発表。雷、RINO等々のアルバム制作にも関わったのち、05年には2ndアルバム『SMOKING GUN』発表。KPとしてディズニー企画のブレイクビーツアルバム制作を中核的に携わった。
09年にはRINO&DJ YAS名義でアルバム『LAMPEYE FLAVA』を発表。また自らのレーベル『KP Records』から自身名義のブレイクビーツ集や著名DJ陣が織り成すMIX CDシリーズ『TIGHT』を発表している。。近年はアナログプレイに再び主眼を置き、精力的にDJをしている。近日、新作7インチレコード『Recognize / Mikoto』リリース。
98年、渋谷CAVEからDJ QUIETSTORMと共に開始したレギュラーパーティー『TIGHT』は昨年15周年全国ツアーを15カ所敢行。今年も都内各所で行っている。


DJ Quietstorm (中目薬局) djquietstorm.com

東京は中目黒を拠点にヒップホップ、ジャズ、ファンク、レゲエ、ダブ、ハウス、ドラムンベース、ダブステップ、ジューク、フットワーク など音の琴線を独自の技法を持って紡ぎだし、これまで誰も成し得ることの無かった斬新かつオリジナルなミックスと卓越した技術で音楽に対する強い愛情を 日本各地のクラブで具現化し続けている。


森田貴宏 FESN www.fareastskatenetwork.com/

東京都杉並区出身。’95年ビデオプロダクション『FESN』を設立。’97にはクロージングブランド『LIBE BRAND UNIVS.』を自身の活動拠点である「中野」に設立。
現在はオンラインTV番組『FESN.TV』で番組のパソナリティを務めるなど、その活動は多岐に 渡る。


PHOTO BY HAGIWARA (FATBROS)
[FATBROS] http://www.fatbros.net/

中野heavysick ZERO・ウェブ・サイトにて新たな企画・コーナーが始まります!
今後、当店での出演が決定している注目のアーティストをゲストに招いてインタビューしてしまおう!っという企画、その名も『ZERO TALK LOUNGE』です


毎回、heavysick ZEROのバーラウンジにお招きし、トークと直撃インタビューを試みます。
美味しいお酒を提供するバーテンダー「ミホ」に加え、よりホットなトークが繰り広げられるよう、司会者に抜擢したのは、なんと、、、

地元「中野」から「日本」を飛び越え世界中に多くの熱狂的フォロワーを生み出す「中野」が誇るスケートボード界のカリスマ「森田貴宏」氏!!ここheavysick ZEROのオープン以来ゆかりの深い「森田貴宏」氏が音楽アーティスト達とどんな絡みを見せるのか!?

それでは記念すべく今回は"vol.0"として、日本スケートボード界とクラブミュージックを繋げた立役者であり、ご自身も現役のプロライダーでもある森田さんに今後のこの企画についても含めインタビューしてみましたので、どうぞご覧下さいませ!!
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ZERO TALK LOUNGE vol.0




【お客様】森田貴宏 (以下:森田) 【バーテンダー】ミホ


ミホ:いらっしゃいませ!森田さん!


森田:イエ~イ!!元気?


ミホ:お陰様で。とりあえずお飲み物を。ラムコークのラム薄めで宜しいでしょうか。


森田:うん、いつものね。あ!でもやっぱ梅酒にしてくんない? 最近梅酒にハマってんの俺。ソーダ割りで。


ミホ:かしこまりました。ところで森田さん司会とかってやった事ありますか?どちらかというとインタビューを受ける方が多いと思うのですが。


森田:おかげさまでそうかもしれないね。でもまあそれこそいつもお世話になってるブロードウェイ3階のプロカメラ機材屋「FUJIYA AVIC」の長谷川さん達と「FESN.TV <http://FESN.TV> 」っていうスケボーユーストリーム番組を毎月やってたでしょ俺。そこでパーソナリティみたいなことをやらせてもらってたから少しは経験しているよ。上手いかどうかは分からないけど、人と喋るのは凄く好きだよ。(笑)
(現在FESN.TV <http://FESN.TV> は3ヶ月に1度FESNのYouTubeアカウントにて中野から世界に向け全編バイリンガル放送で公開されています https://www.youtube.com/user/FarEastSkateNetwork)


ミホ:FESN.TVの生放送、3年もやったんですね!一度だけ生放送の現場行きましたけど、カメラ機材を始めかなり大掛かりでビックリしました。昨年1度 だけ「公開生放送」という形で中野heavysick ZEROでもやって頂きましたが、前日の夜に結構な時間かけて仕込みしましたよね。大変だったけど、楽しかったです。またやりたいですね!!



ミホ:改めましてなんですが、、今回は8月に迎える当店の12周年イベントロゴをデザインしてくれて本当にありがとうございました。しかも「1週間で作って下さい」という無茶な期限でお願いしたにも関わらず。。。


森田:大丈夫!大丈夫!全然余裕!だって俺いつも動画作ってんじゃん? 動画はさ、撮影から編集、タイトル作りからエンドロールまで、とにかく作業行程が多 いんだよ。そんなこと言うとデザイン1本でやっている人には怒られちゃうかもしれないけどね。(笑)でも俺に関してだけで言えば、動画制作に比べれば静止 画1枚なんて大したことないよ。


ミホ:そう言ってもらえると少し気が楽になりました。今年は12周年の特別イベントが沢山あるので各イベ ントフライヤーに統一のロゴを入れたかったんですよ。デザインしていただいた12周年ロゴは一言で言うと「シンプル・イズ・ザ・ベスト」な感じですが、ど んなインスピレーションで作ってくれたんですか。


森田:うん、ノリ?(笑) でもまあ俺はタイポグラフィーが好きだからね。特に生粋のヘ ルベチカ狂。(笑)ヘルベチカ使ったデザインだったらいつでも楽しんで作れると思う(笑)。あのRの曲線の美しさとか、上下左右のバランス、そして縦、横 に使われるラインの強弱とか、、、もうホントたまんない!(笑)あのフォントを作った人はホント天才だよ。あれ使ってたら間違いない!って思うんだけ ど、、、でもまあそんなに甘くないのがデザインだよね。(笑)俺デザインは、、、ってまあ俺がそんなに偉そうに言えたもんでもないんだけどさ(笑)、でも まあ、俺が思うところで言わせてもらえれば、結局全ての基礎となるものってのは「愛情」なんだと思うよ。デザイン、特に文字組に関して言えば、文字詰め や、改行に対する作り手の意識やその深さによって「作品」は天と地の差が出るものだと思ってるの。俺のやっているスケートでも言えることなんだけど、シン プルになればなるほど、作り手本来の質感は出やすくなる。嘘がつけなくなるって言うのかな、、、本質的な部分が露呈されちゃうの。とにかく俺だけの話しで 言えば、俺はヘルベチカというフォントが大好きなの。何度もあのフォントの謎を調べようと、1文字ずつのバランスを計算してみたり、ラインの強弱について 計ってみたり、とにかく文字本来の見え方について自分なりに細かく分析してみたんだ。だけどどう考えても完璧としか思えないフォントなんだよあれは。人間 の脳が瞬間的にその文章の意味を解読する為に必要になってくるものは、ずばりフォントの形状。文字の表面積や曲線が情報量としてのフォントのバランスを形 成し、そのトータル的なバランスが良くないと、書かれた文章の意味を解読するにも時間が掛かるの。フォントにはそれぞれ特性があって、ヘルベチカ以外にも そういった意味で精巧なフォントは数多く存在するんだ。だけど俺はあのフォントの曲線が好きなんだ。俺がスケートで描くラインにも共通するとも思ってる の。数値だけの計算では絶対に生まれ得ない「感覚」という人間の深い意識に訴えかけるようなフォント。それが今回のデザインに使ったフォント「ヘルベチカ」だと思っているよ。


ミホ:なるほど~。森田さんが「ヘルベチカ狂」だったとは。。。森田さんの「ヘルベチカ愛」ハンパないですね!!(笑) それではあの吹出しのような文字組全体を囲った枠にはどんな意味があるのでしょうか?


森田:あれはさ、みんなとのコミュニケーション用のツール。最初にミホに言われたのが「ある程度イベンターのみんなが使いまわしが利くデザインで」ってこと だったからさ。ああいうのだったら顔のイラストの近くに配置して貰えれば、漫画の吹き出しみたいにもなるし、タバコの写真の上に配置してくれれば煙の中に 「ヘヴィシック12周年!!」みたいにもなる。それぞれのフライヤーをデザインする人と俺が作ったロゴとでセッション出来たら楽しいなと思ってああいう形 にしたの。またそれと今回1番重要だったのは納品期日でしょ?(笑)だからデザインは深追いしないで、シンプルにそしてユーモラスにみんなが一緒に遊べる ようなデザインを目指して作ったの。



ミホ
:そうだったんですか。本当にありがとうございます。ところで森田さんはスケーターでありながら、かなり多くの音楽アーティスト達とも繋がっていて、単 に知り合いではなく、その音楽アーティスト達と共に多くの仕事をしていて数々の作品が世に放たれていると思います。スケートボードの映像作品のみならず、 音楽アーティストの映像作品も手がけているって本当にすごい事だと思うんですが。


森田:ホントだよね。有り難や、有り難やって感じですよ。ただただご縁を感じておる次第であります。(笑)


ミホ:今までに森田さんがミュージシャンに作ったMVやDVDなど覚えている限りで教えて頂けませんか?


森田:もちろん全員覚えているよ。THA BLUE HERBとは最初に出会った99年以降、本当に沢山仕事させてもらっているでしょ。またそこが起源になってCALMさんとも繋がった。CALMさんとは 2003年に彼が主宰するビッグバンドのライブDVDを監督させてもらった。2010年にはOKI DUB AINU BANDのオキさんと「サハリンロック」っていう曲のMVを作らせてもらったし。次の年の11年、震災直後にそれこそまたオキさんの呼びかけでランキンタ クシーさんとも一緒に「誰にも見えない匂いもない2011」のMVを作らせてもらった。最近ではTHA BLUE HERBのO.N.Oちゃんとも「FrameStack」という1秒間をどれだけ刻み込めば気が済むんだ?(笑)っていうイカれた楽曲のMVを作らせても らったし(笑)。またこれから出る作品として、またもやOKIさんともう1発作らせてもらったよ。「SUMA MUKAR」っていう7インチアナログ用の曲。これがまたスゲエ良い曲でね、今の時代にフィットした作品になったと思うから、どうぞ皆様お楽しみに。


ミホ:本当楽しみです。では森田さんにとってスケートボードの映像作品と音楽映像作品を作る時に大きく違う点はなんですか。


森田:スケボーに乗ってるか、乗ってないかってとこ。(笑)



ミホ:heavysick ZEROがOPENしてから間もなく、毎月・第1木曜日に「Midnight Express」というパーティーをスタートし、自らDJもしていますが、森田さんは幼少期にどんな音楽を聴いていたんですか。


森田:仮面ライダー、レインボーマンといったヒーローモノのストーリー付きレコードとか、ソノシートみたいなやつ。他にはブルースリーの映画のサントラと か、ホラー映画のも大好きだったな。俺の家は俺を含めて3人兄弟だったんだけどさ。兄貴達のおかげで結構おもちゃとかには不自由しなかったんだ。特に音楽 に関してはいろんなものが俺の周りにあってさ。兄貴達のお古のヒーローものや戦隊モノのレコードは雨の日に一人で遊ぶにはもってこいのおもちゃだった。俺 が小学校高学年にもなると、兄貴達2人は共にギターを弾き始めたから、洋楽のレコードが家には沢山あった。俺の音楽好きは、間違いなく俺の家の環境にあっ たと思う。家族にはホント感謝しております。


ミホ:昔のアニメソングやサントラって案外、演奏がファンクだったり、カッコ良いブレイクが入ってたりとクラブミュージックに通じるモノも沢山あるんですよね~。
では!人生のターニングポイントってあると思うんですが、今までやってきて、「俺イケルカモ!」と思った瞬間っていつですか。


森田:まあ俺はバカだからさ、いつも「俺イケルカモ!」って思ってるよ。(笑)それこそこのインタビューにも全力で答えれば必ず何かしらチャンスになる!っ て思ってるもんね。(笑)だって誰が読むかなんて分からないじゃん? もしかしたらスゲエ大物プロデューサーみたいな人が、人材探している最中に読むかも しれないでしょ?(笑) 未来のことは誰にも分からないんだよ絶対。そしてどうせ誰にも分からないのだったら、夢を信じて自分が持てる能力を常に全て使っ てコトに当たるべきだと思ってるの。俺はスケートでも何でも「今」が一番大切だと思う。「今」という時間を大切に出来なければ、これから先の時間だって大 切になんか出来るわけが無いよ。「今」という時間の連続がそれぞれの人生なんだよ。後のことばかりを気にして「今」というタイミングを全力で生きられなけ れば、その後だって何も変わらないと思う。俺は毎日を全力で生きたいんだ。そんな思いで自分のウェアブランドの名前だってLIVE+VIBE= 「LIBE」って名付けたんだからね。


ミホ:相変わらず熱いですね。(笑)


森田:あったりまえじゃん!どうせ1回しか無 い人生だよ!俺は後悔の無い人生を求めているの。出来るだけ周りの仲間と楽しく有意義な人生を過ごしたいじゃん。俺に出来ることだったら俺は精一杯やる よ。自分の限界は日々広げていっているんだし、恥ずかしいなんて思ってたら何にも出来ないよ! 格好良くスマートにってだけじゃ俺には退屈なの。寂しいこ と、辛いこと、悲しいこと、そして苦しいことなんかがあってこそ、楽しいこと、面白いこと、そして嬉しいことが一段と光り輝くんだよ。で、そういうことは 絶対に自分以外の人との交わりから生まれて来るんだ。いわば人生はセッションだよ。スケートや音楽もデザインもそれ以外もみ~んな一緒なの!!とにかく恐 れちゃなんねえよってこと。(笑) 


ミホ:ホントに前向きですね(目力ハンパ無い)。(笑)


森田:そりゃそうだよ。これ を読んでくれている人達の為にも俺は精一杯前向きなことを言うよ。もちろん本心でね。でもね、実際は後ろがあるから前があるんだよ。後ろ向きの思考も絶対 に大切。表裏一体とはよくいったものだけど、他人に対してそいつのある部分一つだけをピックして付き合っていくなんていうことは絶対に出来ないの。そんな に都合良く人は出来ていないし、優しさや思いやりっていうのは、それを補う為に努力して自分に身に付けていくことでもあるんだ。とにかくさ、 heavysick zeroは本当に多くの人達が来ては去り、来ては去りを繰り返していく場所でしょ?音楽を通して皆が何かを共有する場所。どうせだったら明るい未来への展 望やそれに対する実現を皆で共有出来るような場所であることを俺は望むよね。


ミホ:そうですね。本当に貴重なお話どうもありがとうございました。それでは最後に何か告知などあれば是非!!



森田:え~っとね、さっきもミホが言ってくれていたパーティーをここでやっています。毎月第一木曜日、夕方6時から深夜までB2のラウンジに俺と仲間達のこ だわりのスケートランプを設置してます。スケボー持ってくれば500円で誰でも楽しめちゃいます。中野「FATBROS」とここ「heavysick zero」の仲間みんなで協力し合って早10年!! スケボー出来ない人でも大歓迎です!!正月にはお雑煮をミホが作ってくれたり、ビーフシチュー作って くれる友達がいたりね。上のB1フロアではノリでOPSBのメンバーがセッションしてたり、大蔵がマイク持ってラップしてたり、俺が映画のサントラばっか でDJしてたりとかって感じでね。とにかく地元らしく楽しくアットホームにやってます。ご興味ありましたら是非皆様遊びにいらして下さい!!


ミホ:森田さん、今日は本当にどうもありがとうございました。では次回からここ『ZERO TALK LOUNGE』での司会の方どうぞヨロシクお願い致します!!私も微力ながらバーテンとしてお手伝いさせて頂きます!!


森田:ハイよ~!こちらこそどうもありがとうございました!梅酒ごちそうさま!!


※毎月第1木曜日・開催中
Midnight Express×魁!!中野スケボー塾
【web】http://fareastskatenetwork.com/new/?page_id=6823
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■森田貴宏 FESN www.fareastskatenetwork.com/

東京都杉並区出身。’95年ビデオプロダクション『FESN』を設立。’97にはクロージングブランド『LIBE BRAND UNIVS.』を自身の活動拠点である「中野」に設立。
現在はオンラインTV番組『FESN.TV』で番組のパソナリティを務めるなど、その活動は多岐に 渡る。


■PHOTO BY HAGIWARA (FATBROS)
[FATBROS] http://www.fatbros.net/

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